●水の無い水路のパラドックス・境川(摂津市)の巻
並行して走るJRと阪急の両路線を縦に貫いて流れる境川。いつも電車の車窓から見えるその光景がずっと気になっていたのでした。何故ゆえにそれが気になっていたかというと・・JRからも阪急からも見えるその河川、、川幅はそこそこあるものの、いつ見ても水が全く無いのです。。一滴の水も無く、ただ蛇行して続くコンクリート打ち河川は、まるで掘り下げられた舗装道路のよう。この光景はかなり異様。一体これは、、何事???源流から河口部に至るまでずっとその状態が続いているのか。果たして途中の何処かから水が流入している箇所があるのか。また源流部分はどうなっているのか。。地図で調べてみたらこれは"境川"という都市河川で、地図ではJR線の下から流路が始まっているように見える、、という事は線路の下に源流部があるという事に。。そこで考えた。水の流れない河川ならば、当然都市整備の段階で邪魔だから埋めてしまえという話になる筈。そうなっていないのは河川にちゃんとした用途があるから。おそらく雨天時の排水路としての役割を担っているのに違いない。という事は、きっと線路の下に巨大な合流式下水の暗渠が口を開けている筈ですので、是非それも確かめなくては。河川の情報を更に調べると、ちょうど阪急電車と交差する部分が新駅設置予定地にあたっており、新駅周辺の再開発事業の一環として、な・なんとこの境川もせせらぎの流れるビオトーブロードとして生まれ変わる計画なのだとか。車窓から見えたあの無味乾燥としたコンクリート河床からは凡そ想像がつきませんが、とにもかくにも辺りの景観がすっかり変貌してしまう事だけは確実である訳で、せめてそうなる前に元の河川のある風景を最期に見ておきたいと、電車に乗って出かけた私でしたが、、さて。。。
はい。場所はJR千里丘駅の東口を出て大阪方面に200mほど行ったところ。下流側を見ています。車窓から見えていたのが丁度この光景、、かなりショッキングでわないですか。。この日は曇天で肌寒く、都市河川の退廃的な光景と相俟って陰鬱な雰囲気を程よく醸し出しておりました。結構な川幅がいきなり蛇行して始まっておりますが、以前レポした旧天神川のように、何らかの流路が元々この場所にあって後に都市河川として開削されたのかもしれません、、という雰囲気の自然な屈曲ぶりです。この起点部分に橋や銘板は無く、ただフェンスで仕切られているだけ。両岸の茶色のフェンスだけは近年塗り替えられた様子。手前に立っている看板は錆び付いてしまって全く読めませんが、何が書かれてあったのでしょうか。もしかして起点票だったりして??ちょうどこの下が源流の筈ですが、さてどうなっているのでしょう。。
穴二つです。意外な展開でした、、そう来ましたか。しかも滝まであって。。てっきり川幅と同じ規模の暗渠がぽっかりと開いていると思ったのに。。先ほど立っていた場所を下からのぞいて見たところですが、暗渠部分の川幅は思っていたほど広くは無く、トンネル開口部からこちら側で川幅が広がっており、また河床部に段差もついているので全体の河川規模に比べて暗渠のそれはかなり小さめ。しかもそのトンネルも流路が2つに分けられているので暗渠部分は殆ど側溝のような状態に。もちろん入ることは不可能(というか最初から入るつもりはありませんけれども・・)。やはり此処にも水は全く流れておりませんが、流れた形跡は無くもないような。少量の水が流れるとしたら、向かって右側を流れ落ちるであろう事をコンクリートの染みが物語っております。右側の河床部が若干低くなっている所為でしょう。トンネル出口部分の河床部に雑草が生えているのは、この部分に土砂が堆積した為と思われますが、どのくらい水が流れないのか想像がつきますね。 JR線と道路との境界部分にある隙間から流路をのぞいて見ました。此処でもやはりトンネルは2つに別れておりますが、このように道路との間に一旦隙間があって、更にこの道路の下を潜る訳ですが、何故か此処でも流路は2つに。。しかしどうしてトンネルを2つにしなければならないのか謎。強度の問題でしょうか。それと、この穴は一体何処まで続いているのか、、もしかして2つは別々の流路なのか。。
暗渠はひとまず置いておくとして、こちらは再び下流側。源流部分から流路の先を見ています。まるで大旱魃に見舞われ干上がってしまった未来都市のよう。。
あれ、、、 やっぱりあった合流式の暗渠開口部。源流部に殆ど水が流れる様子が見られないので、"はて?"と思っていたら護岸の脇から巨大なトンネル出現です。例によって灰色のカーテンの向こうからは例のゴォォォというモノスゴイ水音が聞こえてきます。これを通水させる事こそが境川の役割という訳ですね。これでようやく納得。しかしこの暗渠、河川跡かと思ったのですが、暗渠の上に流路跡らしきものも見当たらないので、単に下水の基幹を此処で繋げただけなのかも知れません。この暗渠開口部にだけ河床部に若干水が溜まっているのが見えますが、大雨が降るとどの程度水が流れるのでしょう。開口部は斜めになっていてしかもかなり存在感もある感じで、カーテンを押し広げてここから大量に水が流れ出してくる光景を想像するとちょっと恐ろしいです。河床部の泥に足跡がついているのが見えますが、作業の方が最近暗渠内に入られたのでしょうか。当然のことながら暗渠内部は立入禁止でして、護岸に"監視カメラ作動中"の看板が立っております。というか、禁止されなくても絶対に入りたくはないですけれども。。一体カメラは何処に設置してあるんだろう、、そして何処で誰が監視しているんだろう、、まるで『スターどっきり(秘)報告』みたい。結構ハイテクなのですね。。何れにしても、ちゃんと管理はされているという事で。しかしこちらのトンネルもやはり出口が2つ。。摂津市スタイルなんでしょうか。
暗渠開口部から上流端を見ています。屈曲して始まっているのが分かります。暗渠手前の河床部についている傾斜は、おそらくとてつもない勢いで流出して来るであろう合流式下水の逆流を防止する為のものでしょう。 暗渠のすぐ先に架かる最初の有名橋・小坪井橋(昭和45年3月竣工)です。金属製の小さな橋で、ちゃんと河川名も表示されております。嗚呼、此処は川なのだと改めて思わされます。
ところでこの坪井橋の袂に旧い石橋がありました。これは一体、、と思い近づいてみると、、、
冬の曇天がいやでも寂寥感をかき立てます。。
坪井橋から下流側です。流路は屈曲しています。この屈曲具合を見ると自然河川のようにも見えるのですが、京都市とは違って道路自体が直線ではないので、どうなんでしょう。。やはり下水路でしょうか。やっぱりどう見てもかなり異様な光景、、魚どころか生物は一切住めないことでしょう。。水が殆ど無く、少量の通水があるだけの河川というのなら見かける事もありますが、此処まで枯れている河川も珍しいです。一体どうしてまたこんな事に???とクエッションマークが果てし無く浮かんではまた消えて行きます。。遊歩道は坪井橋を境に対岸に移動。摂津市のウォーキングコースにも指定されているようですが、散策される方はこの風景を見て、何を思われるでしょうか。対岸の道は雑草が伸び放題ですが、今後新たに整備されるのかも知れません。
坪井橋を振り返って、、或る種の寂寥感漂う佇まい。うぅむ。。。 都市河川によく見られる、"川をキレイに"だとか、"魚の住める川に"といった標語の入った看板の類はサスガに見当たりません。ある意味"キレイ"だとは思います、、この何も無い河床部。もはや"無"の境地。灰色の空模様といい、愈々本格的に陰鬱な光景になってまいりました。。。
屈曲の先に境橋が見えて来ました。橋の向こうには阪急電車が通っています。 境橋(昭和59年3月竣工)は金属製の横柵欄干。これまでで一応最も新しい架設橋ですが、歩道スペースが車道と別にあり、交通量の多い橋ですので道路工事の一環でおそらく何度か架替えられている事でしょう。このすぐ先に阪急電車が通っています。
境橋の先には阪急電車が通って、、、ガーン!!!既に暗渠化されてしまっている。先の流路が真新しいコンクリートですっかり塞がれてしまっているでわないですか。以前は阪急電車の車内から、この先も水の無い河床部を見ることが出来たのに、、、うぅむ。訪問するのがやはり少しばかり遅かったようです。。
駅のすぐ脇の護岸部分を外側から見ています。背の高い順に並べられた円筒形の物体は、おそらく埋められる予定のマンホール。着実に暗渠化が進んでおります。。工事区間は立入禁止で、河川には全く近づくことが出来ません。ガードフェンスの向こうが境川ですが、ご丁寧に白いシートまで張られていて、河川の様子が全く分からなくなっています。作業は企業秘密でしょうか。。此処から暫くこの状態が続きます。
という訳で、暫く道路づたいをそのまま歩き、暗渠工事部分の終点までやってきました。暗渠の出口をフェンス越しに撮影。境川は暗渠の中を逝き、その暗渠の上を人工的に造られたせせらぎが流れるようになる訳です。出口のところにだけ水がありますが、河川というよりは単なる水たまりといった感じ。通り雨でもあったのでしょうか。。流路は此処から屈曲して斜めに道路を横切り、通りの反対側へと移動します。
道路の下から出てきたところ。と、ここでコンクリート河床の端を水が!!水源が気になるところですが、ちょっぴり河川っぽくなったような気がしなくもないです。ちなみにこの上の柵は厳密に言うと橋ではないので銘板の類はありません。或いは工事によって変えられる以前は違っていたのかも知れませんが。 トンネル出口の道路上から境川の河口部を見たところです。向こうに木製の小さな橋が架かっているのが見えるでしょうか。その先が大正川との合流点です。
ガランド歩道橋から上流側を見ています。一段掘り下がった先からは、ちゃんと水を湛えていて一応通常河川の雰囲気に。。しかし河口部までやって来てようやく水が流れるというのも何だか皮肉のようですが、ずっと枯れ川だった境川、、この水が一体何処から来るのかというと、、、
ガランド歩道橋から河口部を臨む。大正川と合流する手前、左の護岸から流入しているのがガランド水路(正式名称です)。ガランド水路というのは、元々この場所にあった水路を暗渠にしてその上に高度処理水を流し、人口のせせらぎを造るという今回の境川のプロトタイプのような存在。先ほどの境川河床部に見られた水は実は全てこれでして、、つまり勢い良く境川に水を落としたあまり、一部が逆流して段差のついていた箇所まで溜まっていた訳なのでした。境川河口部とガランド水路付近は公園のように整備されていて市民の憩いの場となっているようです。。それはいいのですが、そのビオトーブに造られた池、、何やらオレンジがかったモロモロが大量にぐるぐる旋回しながら漂っていてかなり微妙な雰囲気。。天候もアレでしたので人の気配も無く、これはこれで終末感の漂う光景ではありました。。高度処理水は通常の水よりも窒素が多く含まれている為、栄養過多で異常に藻が発生しやすかったりするので、油断しているととんでもない事に。。 ただ只管に合理性を追い求めた昭和の時代のそれと違って、21世紀における都市開発は"自然との共存"は欠かすことの出来ない要素。もちろん完全な"自然"というのではなく人工的に整備され造られたそれではありますが。。街が宅地化される以前広がっていた田園風景も、やはり人の手で造られたものであり"自然の姿"という訳ではありません。水質汚染が社会問題になった70年代の大人はそんな河川を見て"昔はキレイだったのに汚れてしまった"と思っていました。同時代に幼少期を過ごした世代は今の河川の姿を見て"昔は汚染されていたのに、今はキレイに変わった"と思う訳です。結局のところ何時の時代であっても、嘗て自分が初めて目にした河川の姿を原風景として眺めるものなのかも知れません。。
◆境川源流部を探る- さてそれでは、どうにも気になる境川の真の源流部、、即ち上流端の暗渠の先を此処で探ってみたいと思います。最初の上流端からJRの金網越しに流路の先を見たところ。写真中央に見えるコンクリートの物体が河川の流路。どうやらJRの上り線と下り線との境に隙間が出来ているようです。線路を渡った向こう側には開口部、もしくはそれと思わせる痕跡があるのか?行ってみましょう。
という訳で、駅の東口に廻って線路の反対側へとやって来ました。境川上流端から流路をそのまま延伸すると、線路を挟んで此処がちょうど対岸部分に当たります。線路の路盤下に河川のトンネル跡のようなものが見えます、、どうやら流路はこの下に存在しているようです。 引きで全体を見るとこんな感じでして、駅から線路脇にずっと歩行者用の歩道が続いているのですが、その傍らに河川跡が。。河川跡に向かって斜めに隆起した歩道の下に隙間が出来ているのが見えますが、実はこの歩道自体が側溝にコンクリートで蓋をした状態のものなのでした。この水路、暫く行くと駅の向こうで開渠になるのですが、雨水を流す下水溝として流路はずっとこの下に続いていると思われます。ちなみに道路の反対側には旧い住宅が建ち並んでいて、境川の流路跡らしきものは全くありません。ただ、幾つかの小さな側溝の流れがこの近辺で幾つか流入している痕跡は確認出来ました。都市河川の源流部というのは大抵こんな感じですね。。
内部をフラッシュ撮影。近づくと仄かに異臭が。。奥がJRの線路下になる訳ですが、ちょうど中央に流路の起点部分が見えます。右側の護岸に黄色の足場が取り付けてあるのが見えますが、中へ降りることもあるのでしょうか。そういへば地上のこの部分に金属の蓋がありましたが、いざという時には其処から中へ突入するのでしょう。
水の無い水路を辿って其処に見えたものは、、それは完全に都市の下水路としての機能"のみ"で整備された、ある意味で究極の都市河川の姿でした。都市機能の裏側を垣間見た思いが致しますが、この河川がこれから先どのように変貌して行くのか、今後も見守ってまいりたいと思います。。
境川・完
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