●工場街を逝く黒い流れ・川田川(京都市南区)の巻

 

 京都市南部..おそらく一般的に"京都"と聞いて多くの方が抱くであろう固定したイメージ−例えば"鰻の寝床"と称される細い路地、旧い木造家屋、石畳の坂道、打ち水を撒くと夕暮れの五重塔が遠くに見え、鐘の音が聴こえる..といったような−とはかけ離れた雰囲気の地域であります。私はこの京都市南部で育ちましたが、一言で言うならばごく普通の住宅地。あと町工場と畑と、それから都市河川(意外にも小河川や水路等が多いのです)の街といった感じ。建ち並ぶアパート群、道路には大型トラックが砂塵を巻き上げて行き交い、歩道に人影は無く、町工場はある種の異臭を放ち、河川は紫色をした水を湛え、日陰が少なく、絶えず強い日差しに照らされている..何処となく終末感すら漂っているような、そんな街。。古くから農耕地帯であったので歴史は浅いんですが、"新しい街"という訳でも無い..かといって下町という感じでもない、中途半端に旧い生活居住区。同じ京都市内でも伏見区まで南に行くとまた違った風情があるのですが、その手前の南区というのは何となくエンゲル係数高め(実際にどうだかは知りません)といった趣きの、生活感溢れる街です。居住者以外には忘れられている街。。京都市を紹介するガイドブックは書店に行けばそれこそ多くの種類が並んでおりますが、京都らしいところのあまり無い南区が取り上げられることは殆どありません。。ガイドマップにすら載らない街・南区も、しかし近年かなり変わりつつあるようで、空き地や畑がガレージに変わり、小さな町工場はマンションになり、大型スーパーが出来、小奇麗な住宅が建ち並ぶベッドタウンという雰囲気になってきました。そして嘗て存在していた幾つかの都市河川も、何ら省みられることもなくアスファルトの下に塗り込められてしまいました。。

 そしてこの川田川、、、暇を見つけては都市河川探索に行っていたあの頃−私は幼少時から地図を見ることが好きだったのですが、どうせならより詳しく書かれている方が良い訳です。ではそれを何処で見分けるかというと、小河川の流路までが正確に書き込まれているかどうか、また河川名が載っているかどうか、というのをひとつの基準にしていた訳ですが、幾つかの地図の中で唯一、細い細い流れに"川田川"と書かれているものがありました。地図によっては流路の存在すら省略されているものも少なくないというのに、その流路に名前があることを知った私は、いつか地図で正確な位置を特定して探索に行こうと思いつつ10数年が経ってしまいました。私の行動範囲はいつもこの川田川のある場所よりも北で、しかもこのあたりは道も直線でなく複雑である為に躊躇していた(京都市内の道路はほぼ碁盤の目状態で何処をどう通ってもまず迷うことは無いのですが、久世橋通から南は適応外なのです)のですが、行ってみると実家からもそう遠くなく、今回やっとその目的を果たしたという訳です。

 

kawa.jpg (20079 バイト)

 此処が川田川の源流部。地獄の入り口です。。住宅地の真ん中から突如始まっておりますが、これより上は新しい住宅が建ち並んでおり河川の姿は全くありません。旧い地図で見た時にもやはり此のあたりから始まっていたように記憶しておりますので、かなり以前からこの状態なのであろうと思われます。赤く錆びた柵に剥がれかかった選挙のポスター、そしてゴミだらけのコンクリート川床..この退廃ムード。出そうと思って出せるものではありません。とても"南区"です。

 

kawa01.jpg (23160 バイト)

 ゴミだらけの源流部の奥を覗いてみると左へすぐに屈曲しているのが見える(最初の画像でも屈曲がお分かり頂けると思います)んですが、一体何処から繋がっているのか。。この部分には水は全く無く、少し先で埋まってしまっているような気もするんですが、どうなんでしょう。。

 

kawa001.jpg (75086 バイト) kawa002.jpg (17917 バイト)

 −という訳で、源流部から上の暗渠化された流路が気になったので、いつもお世話になっている暗渠化河川の達人・Tenkei様とご一緒させて頂き、日を改めて少しだけ調べてまいりました。かなり急な角度で左へ屈曲している開口部ですが、そのまま左の方角を見ると、向こうの方の道が若干隆起して見えるとTenkei様が仰るではありませんか。そう言われればそんな気も??其処で結論。流路は此処から屈曲に沿ってそのまま斜めに通りを横切り、まっすぐ道路沿いに来ていたのではないか。。源流部から先、左に行くと通りを挟んで新しいグラウンド施設があるんですが、もしかしたらそのグラウンドを作る際に川を埋めたのかも。上の2番目の画像の奥、写真の右端にグラウンドのフェンスが少しだけ写っていますが、ちょうどその辺りが流路跡であると思われます。

 

kawa003.jpg (69041 バイト) kawa005.jpg (71793 バイト)

 グラウンドの先の交差点に道路を横切っているコンクリートの跡がありました。位置的にも間違いなく川跡だと思います。上の2番目の画像が歩道に上がって北側を見たところですが、こちらの歩道も他の通りと比べて道幅の割にヤケに広くなっていて、おそらく川を埋めた名残でしょう。この先、歩道はほぼ同じ幅で続いていることから、川はおそらくこの先、歩道のある道路沿いにまっすぐ続いていたと思われます。護岸の跡などは見つかりませんでしたが、かなり早い時期に暗渠化された筈です。更に先を暫く行くと歩道の幅も少しずつ狭まり、やがてフェイドアウトしていました。おそらく途中までは川跡で、都市河川・川田川はその先で側溝のような状態になっていたのでしょう。。

 

kawa02.jpg (17322 バイト)

 最初の開口部に戻ります。源流地点から下流部を見たところ。旧い工場の隙間を縫って流れる川田川..ボロボロになって放置されたポリバケツ..染み出した下水..終末感を感じる光景であります。70年代の、都市公害が社会問題として取り上げられ始めた時代、"大気汚染" "水質汚濁" "光化学スモッグ注意報" といった単語が頭をよぎります。。

 

kawa03.jpg (11763 バイト) kawa04.jpg (16313 バイト)

 最初に架かる橋から上流を見ています。向こうに見える暗黒部分が先ほどの川田川源流部です。謎の源流部ですが、あそこから一体何が出てくるんだろう..。橋は白のガードレールを施しただけのもので銘板は無し。コンビニエンスストア横の広い駐車場の端に架かっています。ちなみにこの先の橋にも川田川の銘板は一切存在しませんでした。せめて1つくらいあってもいいのにとも思いますが、税金の無駄遣いでしょうか。。源流部には水は全く無かったのに、工場廃水を少しずつ集めて此処まで来るとやっと川らしい風情にはなりますが..川と云うよりはドブですね。。

 

kawa06.jpg (17529 バイト) kawa05.jpg (14163 バイト)

 左の画像は2番目の橋から上を見たところ。向こうに先ほどのガードレール橋が見えます。右の画像は下流方向を見たところで、御前通りの車の流れが見えますね。護岸のコンクリートはかなり旧いもののようで、永年の西日にさらされて茶色く変色しています。元々は白かったのでしょうが。

 

kawa07.jpg (14144 バイト)

 御前通りに出る直前の川面の様子。水面に油膜のようなものが張っています。。

 

kawa08.jpg (18886 バイト) kawa09.jpg (21129 バイト)

 御前通りの様子です。ご覧のように歩道に並行して流れております。通りに面して小さな町工場が建ち並んでいて、工場の通路用の橋もたくさんありますが、どれにも銘板はありません。。やはりどうでもいい川なのでしょうか。歩道を歩く人は殆どありませんが車は多く、時折工場の中からカンカンと金属を叩く音が聞こえてきます。嗚呼とても"南区"。。

 

kawa10.jpg (20410 バイト)

 やがて右に屈曲して通りの反対側に移動します。

kawa11.jpg (22480 バイト) kawa13.jpg (24324 バイト)

 御前通りの西側に移動しました。殆ど先ほどと変わらない光景ですが、どういう訳か川幅が約1.5倍に広がって存在感が増し、少しは河川らしい雰囲気になったでしょうか。ただ、川幅だけでなく匂いも増したような。。道路を横切ってきた開口部には白いビニール袋が捨てられていましたが、かすかにではありますがちゃんと"流れて"おりました。川田川の黒い流れは一体何処へ行くのでしょう。。

 

kawa14.jpg (20398 バイト)

 橋の上から先ほどの開口部方向を見ています。道路沿いに直線に流れています。所々に堆積しているのは藻のようなヘドロのような..それに気泡のようなものがついていて何だかよく分かりませんが見た目もアレですし、かなり匂いもしますので、あまり近づきたくない感じです。この中から突然変異した生物か何かが現れそうな雰囲気。。此処が最後の開口部でこの先の交差点を渡ると鳥羽処理場の敷地になっていて、川は暗渠化されています。

 

kawa15.jpg (27021 バイト)
 sese1.jpg (84474 バイト) sese2.jpg (86466 バイト) sese3.jpg (85715 バイト)

 暗渠の上には"せせらぎ広場"なるものが出来ており、人口のビオトーブに高度処理水が流れています。せせらぎ広場の立看板に川田川を暗渠化した旨が書かれており、ここになって初めてこれが"川田川"である事を知ることが出来る訳です。此処の水は確かにキレイですが、処理水のあの独特の匂いがします。しかしナゼか処理水の匂いってキライじゃないんですよ。鴨ものんびり泳いでいましたし、水は本当にキレイなのだと思います。処理場でもこういう設備を設けるだけあって、きっと処理能力には余程の自信があるのでしょうね。そうでなければ出来ない事だと思います。ベンチも設置されていましたが、平日の所為か人は誰もいませんでした。。

 

kawa16.jpg (14469 バイト)

 鳥羽処理場の門を過ぎると見るからに川跡らしきものが出現します。左の坂道の先には西高瀬川の"塔の森橋"があります。この道と橋とは比較的新しいものの筈なんですが、下の屈曲部はそのまま往時のままの河川跡だと思います。立入禁止のロープが張られているので中には入れません。

 

kawa006.jpg (77364 バイト)

 前の画像の地点からそのまま斜め右を向いたところですが、此処にも流路跡のようなものが。。旧い航空写真で確認すると、川田川は此処から屈曲して右に流れていたように見えるんですが、もしもそうならこれが旧流路跡と思われます。鳥羽処理場施設拡張の際、暗渠化と同時に河川を付け替えたのかも知れません。

 

kawa17.jpg (28097 バイト)

 処理場横現流路の屈曲の先にあるのがコレ。河川跡部分から先は立入禁止なので門には近づけませんが、並行する歩道の坂の上からこのように全景を見ることが出来ます。画像では判然と致しませんが、門柱に填め込んである銘板に"川田川ポンプ場"の文字が。ちょうど上に坂があるのでよく見えますね。

 

kawa18.jpg (24460 バイト)

 ポンプ場の施設全景です。暗渠部分を潜って来た川田川の水が此処で開渠となり、ポンプ場の設備を通過して行きます。濾過機能なんかもあるんでしょうか。

 

kawa19.jpg (24943 バイト) kawa20.jpg (20190 バイト)

kawa21.jpg (21021 バイト)kawa22.jpg (20992 バイト)

 水門やニョキニョキ伸びたパイプの存在感に圧倒されます。適度に古びた雰囲気も何処か廃墟っぽく歴史の重みが感じられていい雰囲気。私は建築物としての工場の風景もかなり好きなんですが(近年になって写真集やDVDが出たりして嬉しいような、そうでないような複雑な気持ち)、このポンプ場の設備が見られただけでも此処まで来た価値が充分にあったと思いました。しかしあの建物の中には何があるんだろう。一度施設の中を見せて欲しいものですが、鳥羽処理場だけでなく川田川ポンプ場の見学も受け付けてくれれば良いのに。しかしこのポンプ場、、随分ひっそり閑とした感じなんですが、そもそも此処は現在ちゃんと可動しているんでしょうか?と素朴な疑問。。

kawa23.jpg (20672 バイト)kawa25.jpg (17140 バイト)
kawa26.jpg (14746 バイト) kawa27.jpg (12154 バイト)

 西高瀬川の護岸に水門が設置されていてポンプ場から水門を潜ってきた川田川の水が此処で西高瀬川に合流しています。水は澄んでいて魚の姿もたくさん見られるんですが、西高瀬川の青く澄んだ(?)水流に川田川の黒い流れが併さっています。黒い水が流入している様子がお分かり頂けるでしょうか。さすがに中流部のようにヘドロが堆積したりはしていないようですが、ポンプ場で濾過されているのか、また水門付近まで西高瀬川の水が流入して浄化作用が起こっているのか。。
 それはそうと、この水門はいつ開閉されるのでしょうか、、いや開閉されることが一体あるのかどうか、、ちなみに水門の門扉には蜘蛛の巣がはっており、かなり長い間開閉された様子は無いようでした。水門の上には水門の設置許可表示があったのですが、どういう訳だか期限が平成22年3月31日までという表記に。その日が過ぎたら此処はどうなるのでしょう?まさか水門は取り壊されて河川は暗渠化されてしまうという事は。。そういへば市の中部で工事されている養老田川の暗渠化工事も平成22年完成予定なのだそうですが、さては京都市内の河川改修計画が各所で密かに同時進行中か、、川田川の運命や如何に。。

 

kawa28.jpg (19598 バイト) kawa29.jpg (9069 バイト)

 さて、これは西高瀬川・清井橋の下にある先ほどとは別の処理場開口部なのですが、少し前で述べた処理場横の旧流路跡のちょうど延長線上にこれがあります。もしやと思って中を覗いてみたのですが、やはり流路が処理場方向に右へと屈曲しているのが見えました(画像では判然と致しませんが)。おそらく旧流路をそのまま処理場の放水路として利用しているのでしょう。闇の中から結構な量の処理水が静かに流れて来る光景は何だか恐ろしく不気味でした。しかしポンプ場横の開口部では水は澄んでいて魚の姿も見られましたのに、此処では水はどす黒く水底も全く見えない状態ですが、どうしてこうも違うのでしょうか。。水量がかなり多いのは分かるのですが深さは判然とせず、ずっと見ていると何だか恐ろしいくらい。サスガにあまり長く見ていたくは無い光景です。ちなみにこの上の清井橋ですが、以前あった銘板はナゼか全て取り外され、通行止めロープも張られていたような。。かなり旧い橋でしたので近く取り壊すか架け替え工事が行われるものと思われます。

 

 工場排水以外にこれといった水源も無く、都市の排水路と化しているこの川田川、、鳥羽処理場の拡張工事に伴って一部が暗渠化されておりますが、もしかしたらやがてポンプ場ごと取り壊されて埋められてしまうか、完全に暗渠化されて処理場直結の下水に変えられてしまう運命かも知れません(実際にこの少し上流で西高瀬川に合流していた島田川はポンプ場ごと姿を消しました)。。そもそも既に排水路と化しているなら、マンホール下の下水溝であろうと現在のドブ川であろうと多くの人にとってその意味合いは大して変わらない筈ですもの。。果たして川は存続することが出来るでしょうか。いっそのこと処理場で川田川の水も処理してくれれば良いのに。この黒い流れはこれから先、一体何処へ流れ逝くのでしょう。。

 

川田川・完

◆関連サイト:土木学会誌 学生のページ「真夜中の技術者たち」第4回に川田川の記述アリ


inserted by FC2 system